僕が今の現状に思う事 続き3 [原発]
前の日記までに僕が何を思い、どうしようと考えているのかを、
書かせて貰いました。それで結局、僕は何を目指しているのか?
を書きたいと思います。
最終的に僕が目指しているのは、
日本に存在する全原発の停止・廃炉、
核燃料サイクル計画の中止です。
大前提として、原発は止めなくてはいけません。
原発を全て止めたら終わりではありませんが、
原発に依存する社会から、脱却するのが第一歩だと思います。
原発が無くても充分に電力はあります。
最初に断言しておきます。
大規模停電は起きません。起きるはずがないんです。
その理由をあげてみましょう。
ここ数日の東電管内の供給力とその日の最大消費電力量は以下のとおり。
日付 供給力 最大電力量 A B
6月12日 4,080 3,192 78% 58%
6月13日 4,450 3,499 79% 64%
6月14日 4,410 3,488 79% 63%
6月15日 4,300 3,403 79% 62%
6月16日 4,370 3,487 80% 63%
6月17日 4,310 3,473 81% 63%
6月18日 4,120 3,221 78% 59%
6月19日 4,090 3,158 77% 57%
6月20日 4,580 3,627 79% 66%
6月21日 4,700 3,809 81% 69%
6月22日 4,730 4,122 87% 75%
6月23日 4,780 4,221 88% 77%
6月24日 4,790 4,352 91% 79%
6月25日 4,370 3,614 83% 66%
6月26日 4,360 3,249 75% 59%
6月27日 4,880 3,597 74% 65%
6月28日 4,880 4,326 89% 79%
6月29日 4,900 4,570 93% 83% (万kw)
A=当日の供給量に対する割合
B=最大供給可能量(5500万kw)に対する割合
6月29日の猛暑の中、東電管内では供給力に対し最大電力量が93%に
なったとの報道があったが、これはあくまで「その日の」供給可能量に
対する割合であって、これから夏に向けて東電の供給可能電力量は
《増えていく》
猛暑の6月29日でも最大供給可能量と比べれば、83%と余力がある。
例えば6月25日、26日には品川と袖ヶ浦の発電所が点検のために
停止したので24日に比べると供給力が落ちている。
6月30日には供給力は5010万kwと
5000万kwの大台に乗っている。
今後、7月2日には鹿島60万kwの修理が終了。
7月上旬には川崎50万kwの送電線修理終了、
横須賀35万kwの再稼働が始まる。
7月中旬には、常磐30万kwの再稼働、
鹿島17.5万kwの再稼働、広野320万kwの再稼働もある。
夏に向けて5500万kwの供給力が確保されるので、
6月29日の電力消費量ならば17%の余力がある。
東京電力副社長藤本氏も記者会見でコメント出しています。
「今年の夏は計画停電行なわない。電力供給力5680万kwまで増やせる」と。
実際には5680万kw以外にも、先の日記でも書いた『揚水発電』分は
殆んど含まれておらず、尚且つ東電にはまだ『供給力』に含んでいない、
『隠し電力』があります。
これは、東電の最大供給力7769万キロワット(2009年度末実績、
他社受電分を含む)から、福島第1第2原発出力約900万キロワットを
差し引いた6869万キロワットとの差分のこと。
東電は、これまでホームページで公開していた電源別の発電実績資料を
『削除している』が、計算上供給電力に十分な余裕があるとみられます。
こうしてみると、東電の『電気予報』とやらは、
節電の呼びかけではなく、単に『原発維持継続運動』に見えます。
「原発安全神話」の嘘が露呈し、今度は「電力ないない神話」で
原発をキープしようとしているようです。凄い悪質。
原発が無くても、火力・水力フル稼働で6000万キロワットあります。
尚且つ「ガスコンバインドサイクル」という原発の倍の熱効率の、
優秀な発電機があるのです。
川崎天然ガス発電所では、ガスタービンと蒸気タービンを組み合わせた、
このコンバインドサイクル方式により、発電効率59%で発電。
二基で85万キロワットと原発一基相当の出力を誇っている。
立地は六万平方メートルと小さく、排熱回収ボイラー内の装置で
窒素酸化物(NOx)を水と窒素に分解し、環境への負荷も少ない。
そもそも今の日本は電力消費量が膨大です。
これ以上のエネルギー消費拡大は犯罪
原発がすべて止まっても決して停電は起きない
小出裕章さん講演 11月 19th, 2007
《原発で温暖化は止められない》
8月12日、東京・高尾山エコラボキャンプで京都大学原子炉実験所の
小出裕章さんが原発・エネルギー問題について講演。
森の中で多くの人が耳を傾けた。
私は1968年に大学に入学しました。
エネルギー開発に人生を賭けようと思い、
原子力の世界に踏み込んだのです。
あれから間もなく40年が経とうとしています。
昨日からこの会場にお邪魔して、山を歩き素晴らしい音楽を聴き、
美味しい酒をいっぱい飲ませていただきました。
みなさん様々な活動に取り組まれていて、とても心が休まりました。
豊かな自然に囲まれたこんなに天国のような場所で、
なんでわざわざ原子力の話をしなければいけないのかと思うと
申し訳ない気持ちが半分です。
昨夜上映された『六ヶ所村ラプソディー』でも描かれていましたが、
今や原子力は皆さんの日常生活そのものを破壊しようとしています。
事態はそこまで深刻化しているのです。
<人間は自然の一部でしかない>
昨夜私は、草の上に寝転がって星空を見ました。
そして宇宙について考えました。この世界で一番スピードの速い光でも、
宇宙の果てに行くには100億年以上かかります。
それほど広大無辺な宇宙は、人間の知能を超えて広がっています。
この宇宙の中に私たちが暮らしている地球があります。
地球はどうやら46億年前に誕生したようで、当初は火の玉でした。
その地球に海と大気ができ生物が生まれたのは40億年ぐらい前。
広大無辺な宇宙の中でも、地球は生命が根付ける大変希有な星です。
その後様々な生物が生まれては絶滅し、長い歴史をたどって
今日に至っています。人類が誕生したのは400万年前。
地球の長い歴史のなかでは、私たち人類は極々新参な生き物です。
昨日私がバスに揺られてきた高尾駅からこのキャンプ場までは、
おそらく5キロ弱だと思います。地球の46億年の歴史を
この距離に当てはめると、人類が生まれた400万年前は
どの辺りだと思いますか? 私の座っている位置が現在だとすると、
人類が生まれたのはわずか4メートル先です。
人類も当初は、自然と一体になって生きていたのですが、
狩りを覚え農耕を学び段々に文明を発展させました。
人類がエネルギーを大量に使う転換点となったのは産業革命です。
それはわずか200年前。私の唇の先ほんの0・2ミリです。
ジェームズワットの発明により、蒸気の力で機械が動く様になりました。
奴隷や家畜を使って行われていた様々な仕事は、
産業革命後は機械に代わりました。以降人類は、
エネルギーを使えば使うほど豊かになると考えてきたのです。
地球上に人類が誕生してから今日までに消費したエネルギーのうち、
約6割は産業革命後の200年の間に使われました。
僅かな期間にこれほど膨大なエネルギーを使って私たちは今の生活を
つくり上げたのです。しかしそのために、他の生物は次々と絶滅に
追い込まれています。
高尾山には1300種類以上の植物が生えていて、
昆虫等は5000種類以上いるそうです。地球には6000万種類以上の
生物が存在すると考えられていますが、環境破壊により毎年50万種類位は
絶滅しています。私達は他の生物の莫大な犠牲の上に生きているのです。
<日本は先進国ではなく後退国>
私は、日本や米国を先進国と呼びません。ずいぶん前から私は、
後退国と呼んでいます。地球環境を破壊し他の多くの生物を絶滅に
追いやるような国は、後退しているとしか思えないからです。
しかし多くの後退国では、今以上にもっとエネルギーを使いたい様です。
日本もまた莫大なエネルギーを浪費する東京の様な異常な街を
つくりましたが、まだ足らないと主張する人がいます。
高尾の森にもトンネルを掘り、高速道路を延長する計画がありますね。
私はもともと東京生まれの東京育ちです。
上野と浅草の真ん中あたりに地下鉄の稲荷町駅がありますが、
その近くで生まれ育ちました。私が生まれた頃は、
江戸の下町情緒が溢れ道路は子どもの遊び場でした。
それが劇的に変わったのは、東京オリンピックからです。
車が増え、子どもの遊び場はなくなりました。
私は失望して東京を離れましたが、それ以降も多くの人々は、
エネルギーをたくさん消費する生活が幸せだと思い込んできたのです。
実はかって私自身、人間が豊かに生きる為にはエネルギーが必要だと
考えました。だから私は、原子力の世界に足を踏み入れました。
しかしそこで目の当たりにした現実は、
私の期待を粉々にうち砕いたのです。
私が原子力の世界に入った時、日本の原発は1基だけでした。
茨城県東海村に東海1号炉があっただけです。今日では55基の原発が
この狭い日本で稼動しています。しかし最も電気を消費する東京にも、
今、私が住んでいる大阪にも原発は1基もありません。
東電の原発は、東北電力の管内である福島県に福島第1、第2原発が
あります。先日の地震で大きなダメージを受けた新潟県柏崎刈羽原発も
同様に東北電力管内です。関西電力は、福井県の若狭湾に原発を11基も
林立させて長い送電線で関西圏に電気を送っています。
原発で万一重大事故が起きれば大変なことになるから、
東京や大阪の大都市には原発を建設しないのです。
その万一の事故は、既に起きています。1986年4月26日、
旧ソ連のチェルノブイリ原発で重大事故が起き、
広島原爆約800発分の「死の灰」が環境中に放出され、
広大な地域が汚染しました。
数十万人の人たちが避難を強いられ流浪化しました。
本当はもっとたくさんの人々を避難させなければいけなかったのですが、
ソ連邦は崩壊してしまいました。その結果、
未だに14万5千平方キロメートル(日本の本州の約6割に相当)もの
汚染地域に500万人を超える人たちが生活しています。
<再処理工場は日本全土を汚染する>
原発はウランを燃やして「死の灰」を作ります。
100万キロワットの原発は1年間稼動すると
1トンのウランを燃やします。広島で何十万もの人々を熱線で焼き殺し
被爆させた原爆は、約1キログラムのウランが燃えたものです。
それでさえ通常の爆弾に換算したら、約2万トン分に相当します。
私の生まれた頃、東京の下町にはあちこちらに焼け跡が残っていました。
1945年3月10日の東京大空襲のつめ跡です。
344機の巨大爆撃機B29は東京に1600トンの爆弾を落とし、
市街地の40%を焼き尽くして10万人を焼き殺しました。
広島、長崎に落とされた1キログラムのウランやプルトニウムは、
東京大空襲をはるかに超える破壊力を持っていたのです。
みなさんは原子炉と言えば原発を思い浮かべるでしょうが、
原子炉は長崎に落とされた原爆の材料であるプルトニウムを生み出す為に
考えられた装置です。そして生み出されたプルトニウムを原子炉から
取り出すための技術が再処理です。
米国はマンハッタン計画により、世界で最初にこの技術を開発しました。
合計10万人を超える科学者、技術者、労働者を秘密都市に閉じ込め、
当時の日本の全国家歳出に相当する約20億ドルを投じて
原爆を製造したのです。
現在世界で公式に核兵器を保有しているのは、国連常任理事国の米国、
フランス、イギリス、ロシア、中国の5カ国です。これ以外に、
実際にはインドやパキスタン、イスラエルは既に核を保有しています。
しかしインドは原子炉と再処理の技術を、パキスタンは濃縮の技術を
持っているだけです。日本は核兵器を持っていないにも関わらず、
原子炉、濃縮、再処理の中心的な3つの技術をすべて持っています。
私は、日本が国策として再処理政策を掲げ続ける最大の理由は、
核兵器開発にあると思います。
青森県六ヶ所村の再処理工場は、既に稼動しています。
昨年3月31日から実際の使用済燃料を使いアクティブ試験を始めました。
なぜ3月31日かと言えば、会計年度の関係で地元に交付金が
落とせるからです。日本原燃はこの11月以降本格運転を開始すると
公表していますが、なんとしても止めなければいけません。
再処理工場は、事故が起きなくても膨大な放射能を環境に放出します。
日本はこれまで原発で燃やした使用済燃料の再処理をイギリスと
フランスに依頼していました。そのイギリスやフランスでは、
再処理工場周辺で深刻な放射能被害が出ています。
イギリスのウィンズケール再処理工場はグレートブリテン島の西海岸に
あり、アイリッシュ海をはさんだ対岸にはアイルランド島があります。
このウィンズケール再処理工場は今日までに、広島型原爆400発分の
「死の灰」をアイリッシュ海に流しました。チェルノブイリ原発事故で
放出された「死の灰」の半分に相当する量が、《通常の運転によって》
放出されたのです。
六ヶ所村再処理工場が本格稼動すれば、同様の深刻な放射能汚染は
日本全国に広がるでしょう。決して稼動させてはならないと思います。
<原発は巨大な「海温め装置」>
7月に柏崎刈羽原発が地震で深刻なダメージを受け、原発の安全性は
根本的に問い直されています。国や電力会社は日本の電力の30%を
供給している原発が止まったら大変なことになると宣伝していますが、
すべての原発が停止しても電力供給には何の問題もありません。
中図:日本の発電設備の量と実績(2005年度)
日本には火力発電所を含めて膨大な数の発電所があります。
それらの年間を通しての稼働率(=設備利用率)は5割にも満たない
状態です。原発を全部停止して火力発電で代替したとしても、
火力発電の稼働率は7割にしかなりません。
こうした事実に対して国や電力会社は、「電気は貯めておけないから、
真夏の一番暑い時の電力消費ピークに対応するために原発は必要だ」と
反論します。しかし過去のデータを調べれば、火力発電と水力発電だけで
十分に最大需要電力量を賄えることが分かります。
90年代初頭の数年だけ、原発がなければ足らなかった年はありますが、
それ以降はまったく問題ありません。しかも最大の電力需要は、
真夏の一番暑い3日間ぐらい、午後数時間にしか必要とされません。
もし、原発がなければ電気が足りないというのであれば、
その時間だけみんなが仕事を休めばなんのことはないのです。
国や電力会社はもう一つ、地球温暖化防止=CO2削減のために原発が
必要だと主張しています。しかし地球温暖化の原因が炭酸ガスかどうかは
科学的には証明されていません。私は可能性はあると思いますが、
本当のところを突き詰めていくと未だ不明です。
もし炭酸ガスが温暖化の原因だとしても、原発は解決策にはなりません。
少し前まで国や電力会社は、「原発は炭酸ガスを出しません」と
PRしていました。しかし現在は、「原発は発電時に炭酸ガスは
出しません」と修正しています。
原発を動かすには、ウラン鉱山からウランを採掘し、
それを製錬・濃縮・加工して燃料にする工程や、
生み出される「死の灰」を100万年にも渡り管理する事が必要です。
それらすべてのプロセスで膨大な炭酸ガスが発生することは明らかです。
さらに私は、発電時にも炭酸ガスを出していると思います。
原発は膨大なコンクリートと鉄の塊です。これを動かすためには
膨大なエネルギーを必要としますから、当然炭酸ガスを出しています。
科学的には、「核分裂反応は炭酸ガスを出しません」が正しい表現です。
何より温暖化対策を真剣に考えるのならば、膨大な温排水を出している
原発こそ真っ先に停止すべきです。100万キロワットの原発の原子炉の
中では、300万キロワット分のエネルギーが出ています。
電気になっているのはたった3分の1で、残りの200万キロワット分の
エネルギーは海に棄てています。
私の恩師である水戸巌さんは、「原子力発電という名前は正しくない。
正しい名前は『海温め装置』だ」と指摘されました。私はこれを聞いて、
目から鱗が落ちる思いがしました。確かに原発のエネルギーの3分の2は
海に棄てられ、海を温めているのですから
「海温め装置」と呼ぶのが正当です。
これは海の生物にとっては大迷惑な話です。100万キロワットの
原発1基は、1秒間に70トンの海水を7℃温めます。
東京の主要河川である荒川でも、1秒間に30〜40トンの流量です。
1基の原発だけで、荒川以上に巨大な川の水を7℃も温めて
海に流しているのと同じなのです。
日本にある55基の原発全体からは、1年間に1000億トンの
温かい水が排出されます。日本全土に降る雨の量は1年間で
6500億トンで、そのうち川に流れるのは4000億トンです。
つまり原発は、毎年日本の川を流れる水の4分の1に相当する量を
7℃温めて海に戻しているのです。
温暖化対策を真剣に考えるなら、炭酸ガスを問題にする前に
真っ先にこの「海温め装置」を止めるべきです。
<エネルギーで幸福は生み出せない>
私は中学、高校時代に、「石油はあと30年で無くなる」と
さんざん聞かされました。しかし歴史を紐解いてみれば、
いつの時代にもエネルギー危機は叫ばれていました。
1929年の世界恐慌翌年の30年には、「石油はあと18年で無くなる」と
宣伝され、1940年には、「石油はあと23年で無くなる」と危機が
煽られました。そして米国、イギリス、中国、オランダによる
ABCD包囲網で石油の禁輸制裁を受けた日本は、南方石油資源確保の
ために太平洋戦争に突入したのです。
1950年には「あと20年」、70年、80年には「あと30年」と言われ、
90年には「あと45年」になりました。一番最近の石油可採年数推定値は
50年です。勿論石油はいずれ無くなります。この地球の長い歴史の中で
蓄えられた資源を、私たちは湯水のように使っているからです。
だからと言って、原子力は石油の代替エネルギーにはなり得ません。
原発の燃料であるウランは、石油と比べても数分の1ぐらいの量しか
ありません。石炭と比べたら数十分の1です。実に貧弱な資源なのです。
ゆえに原子力はどうがんばってもそう長くは持ちません。
右図の外枠は1年毎に地球に到達する太陽エネルギー
※図:再生不能エネルギー資源の埋蔵量 単位は10×10の21乗J
根本的な問題は、人類はエネルギーを使い過ぎていることです。
一体どのぐらいのエネルギーがあれば、人間は平和で豊かな生活を
送れるのかを考えてみましょう。
今から100年前の日本人の平均寿命は50歳未満です。
当時は1人1日当り食料を含めて数千キロカロリーの
エネルギーしか使えませんでした。人間が生きるためには、
1日当たり2000キロカロリーの食料を採る必要があり、
それ以外にも様々なエネルギーを使います。
1日数千キロカロリーでは食料すら満足にまかなえないので、
寿命は短かったのです。
日本は高度経済成長期以降、1日当たり4〜5万キロカロリーの
エネルギーが使えるようになり、その結果平均寿命は70歳、80歳と
伸びてきました。現在では、1人当たり平均12万キロカロリーの
エネルギーを使っています。
私は日本のエネルギー消費を、現在の2分の1にするように
提唱しています。12万キロカロリーの半分、6万キロカロリーです。
これはほぼ1970年代の消費レベルです。
冷蔵庫、洗濯機、テレビなどほとんどの電化製品は揃っていました。
しかも今日の省エネ技術は70年代よりも良くなっています。
白熱灯ではなく蛍光灯が普及し、冷蔵庫も10分の1ぐらいの
エネルギー消費で動きます。ですから6万キロカロリーでも、
70年代よりもはるかに豊かな生活が可能です。
贅沢を切り詰めれば十分に命を維持し、
人間的な生活をおくれるレベルです。
加えて重要なことは、日本のエネルギー消費を半分に減らしても、
まだ世界平均を上回っていることです。
現在世界の平均エネルギー消費量は、4〜5万キロカロリーです。
今世界65億の人口のうち、先進国に住んでいる人は4分の1、
約16〜17億人です。残りの50億の人たちは、未だにエネルギーを
ほとんど使えない生活を強いられています。
*左図参照
そのなかでも特に11億の人たちは、「絶対的貧困」と国連が定義する
状況に置かれています。1日に1ドル、つまり約120円以下しか
使えない人が11億人いて、そのうち5億人は飢餓に直面しています。
劣悪な衛生・健康状態の中、2~3秒毎に子供が死亡しているのです。
未だに多くの人たちが飢えに苦しんでいるにも関わらず、
私たちはそれを顧みることなくさらに大量のエネルギーを使って
贅沢を享受する社会をつくろうとしているのです。
この極めて差別的な世界を一体どうすればいいのでしょうか?
宮澤賢治は「世界がぜんたい幸福にならないうちは 個人の幸福は
ありえない」と記しました。私は「世界ぜんたい」とは、
人間のみを指すのではないと思います。人間を含めたこの世界全体が
幸せになることを、賢治さんは願っていたはずです。
またそう考えなければ、この地球という星を守ることはできない
ところにまで私たちは追い詰められてしまったと思います。
賢治さんは続けてこう記しています。
「個性の優れる方面に於て、各々止むなき表現をなせ」。
たまたま原子力の世界に入ってしまった私は、
なんとか原発を止めるために自分が持っている力を出し尽くします。
みなさんも、それぞれが取り組んでいる場所で、
それぞれの力を発揮してください。
私たち誰もがそれぞれに「止むなき表現」をする場所があるはずです。
=====
引用元:これ以上のエネルギー消費拡大は犯罪
原発がすべて止まっても決して停電は起きない
小出裕章さん講演 – エコ&ピース月刊誌Actio
※引用元では、図を見ながら文章を見られるので理解しやすいです。
小出さんや、その他の大勢の「反原発」の方々は、
原発を止めれば全てを成し遂げられたとは思わないでしょう。
それは一つの「過程」であって、「人類」だけの為の想いではなく、
世界に生きる全ての命の為の主張です。
便利で快適な生活を維持する為に、膨大な電力を求め続け、
その為には多少の危険も省みないというのならば、
いつか日本という国は、消え去ることでしょう。
日本だけの問題でも、最早無いのです。
世界の何処かに原発が在る限り、
世界は常に破滅と隣り合わせの不安の中です。
本当に必要な、大切なものは何で、
必要でないものは何なのかを、
この世界に生きている、ひとりひとりが考えて欲しいのです。
それが僕の願いであり、希望している事です。
綺麗事と笑う人も、実現不可能と嘲る人も、
自分の、後ろに居る人達の事を考えてみて下さい。
この世界は、自分自身が死ねば終わりではありません。
自分の子供の、そのまた子供が、更に子供を育て、
そうして命は連綿と紡がれていきます。
想像してみて下さい。
その未来に原発を放棄し、自然に寄り添いながら、
本当の意味で豊かな生活を送る人達が居る世界を。
実現不可能な事でしょうか?
いいえ、いつかきっと出来ます。
そう信じてみませんか?
書かせて貰いました。それで結局、僕は何を目指しているのか?
を書きたいと思います。
最終的に僕が目指しているのは、
日本に存在する全原発の停止・廃炉、
核燃料サイクル計画の中止です。
大前提として、原発は止めなくてはいけません。
原発を全て止めたら終わりではありませんが、
原発に依存する社会から、脱却するのが第一歩だと思います。
原発が無くても充分に電力はあります。
最初に断言しておきます。
大規模停電は起きません。起きるはずがないんです。
その理由をあげてみましょう。
ここ数日の東電管内の供給力とその日の最大消費電力量は以下のとおり。
日付 供給力 最大電力量 A B
6月12日 4,080 3,192 78% 58%
6月13日 4,450 3,499 79% 64%
6月14日 4,410 3,488 79% 63%
6月15日 4,300 3,403 79% 62%
6月16日 4,370 3,487 80% 63%
6月17日 4,310 3,473 81% 63%
6月18日 4,120 3,221 78% 59%
6月19日 4,090 3,158 77% 57%
6月20日 4,580 3,627 79% 66%
6月21日 4,700 3,809 81% 69%
6月22日 4,730 4,122 87% 75%
6月23日 4,780 4,221 88% 77%
6月24日 4,790 4,352 91% 79%
6月25日 4,370 3,614 83% 66%
6月26日 4,360 3,249 75% 59%
6月27日 4,880 3,597 74% 65%
6月28日 4,880 4,326 89% 79%
6月29日 4,900 4,570 93% 83% (万kw)
A=当日の供給量に対する割合
B=最大供給可能量(5500万kw)に対する割合
6月29日の猛暑の中、東電管内では供給力に対し最大電力量が93%に
なったとの報道があったが、これはあくまで「その日の」供給可能量に
対する割合であって、これから夏に向けて東電の供給可能電力量は
《増えていく》
猛暑の6月29日でも最大供給可能量と比べれば、83%と余力がある。
例えば6月25日、26日には品川と袖ヶ浦の発電所が点検のために
停止したので24日に比べると供給力が落ちている。
6月30日には供給力は5010万kwと
5000万kwの大台に乗っている。
今後、7月2日には鹿島60万kwの修理が終了。
7月上旬には川崎50万kwの送電線修理終了、
横須賀35万kwの再稼働が始まる。
7月中旬には、常磐30万kwの再稼働、
鹿島17.5万kwの再稼働、広野320万kwの再稼働もある。
夏に向けて5500万kwの供給力が確保されるので、
6月29日の電力消費量ならば17%の余力がある。
東京電力副社長藤本氏も記者会見でコメント出しています。
「今年の夏は計画停電行なわない。電力供給力5680万kwまで増やせる」と。
実際には5680万kw以外にも、先の日記でも書いた『揚水発電』分は
殆んど含まれておらず、尚且つ東電にはまだ『供給力』に含んでいない、
『隠し電力』があります。
これは、東電の最大供給力7769万キロワット(2009年度末実績、
他社受電分を含む)から、福島第1第2原発出力約900万キロワットを
差し引いた6869万キロワットとの差分のこと。
東電は、これまでホームページで公開していた電源別の発電実績資料を
『削除している』が、計算上供給電力に十分な余裕があるとみられます。
こうしてみると、東電の『電気予報』とやらは、
節電の呼びかけではなく、単に『原発維持継続運動』に見えます。
「原発安全神話」の嘘が露呈し、今度は「電力ないない神話」で
原発をキープしようとしているようです。凄い悪質。
原発が無くても、火力・水力フル稼働で6000万キロワットあります。
尚且つ「ガスコンバインドサイクル」という原発の倍の熱効率の、
優秀な発電機があるのです。
川崎天然ガス発電所では、ガスタービンと蒸気タービンを組み合わせた、
このコンバインドサイクル方式により、発電効率59%で発電。
二基で85万キロワットと原発一基相当の出力を誇っている。
立地は六万平方メートルと小さく、排熱回収ボイラー内の装置で
窒素酸化物(NOx)を水と窒素に分解し、環境への負荷も少ない。
そもそも今の日本は電力消費量が膨大です。
これ以上のエネルギー消費拡大は犯罪
原発がすべて止まっても決して停電は起きない
小出裕章さん講演 11月 19th, 2007
《原発で温暖化は止められない》
8月12日、東京・高尾山エコラボキャンプで京都大学原子炉実験所の
小出裕章さんが原発・エネルギー問題について講演。
森の中で多くの人が耳を傾けた。
私は1968年に大学に入学しました。
エネルギー開発に人生を賭けようと思い、
原子力の世界に踏み込んだのです。
あれから間もなく40年が経とうとしています。
昨日からこの会場にお邪魔して、山を歩き素晴らしい音楽を聴き、
美味しい酒をいっぱい飲ませていただきました。
みなさん様々な活動に取り組まれていて、とても心が休まりました。
豊かな自然に囲まれたこんなに天国のような場所で、
なんでわざわざ原子力の話をしなければいけないのかと思うと
申し訳ない気持ちが半分です。
昨夜上映された『六ヶ所村ラプソディー』でも描かれていましたが、
今や原子力は皆さんの日常生活そのものを破壊しようとしています。
事態はそこまで深刻化しているのです。
<人間は自然の一部でしかない>
昨夜私は、草の上に寝転がって星空を見ました。
そして宇宙について考えました。この世界で一番スピードの速い光でも、
宇宙の果てに行くには100億年以上かかります。
それほど広大無辺な宇宙は、人間の知能を超えて広がっています。
この宇宙の中に私たちが暮らしている地球があります。
地球はどうやら46億年前に誕生したようで、当初は火の玉でした。
その地球に海と大気ができ生物が生まれたのは40億年ぐらい前。
広大無辺な宇宙の中でも、地球は生命が根付ける大変希有な星です。
その後様々な生物が生まれては絶滅し、長い歴史をたどって
今日に至っています。人類が誕生したのは400万年前。
地球の長い歴史のなかでは、私たち人類は極々新参な生き物です。
昨日私がバスに揺られてきた高尾駅からこのキャンプ場までは、
おそらく5キロ弱だと思います。地球の46億年の歴史を
この距離に当てはめると、人類が生まれた400万年前は
どの辺りだと思いますか? 私の座っている位置が現在だとすると、
人類が生まれたのはわずか4メートル先です。
人類も当初は、自然と一体になって生きていたのですが、
狩りを覚え農耕を学び段々に文明を発展させました。
人類がエネルギーを大量に使う転換点となったのは産業革命です。
それはわずか200年前。私の唇の先ほんの0・2ミリです。
ジェームズワットの発明により、蒸気の力で機械が動く様になりました。
奴隷や家畜を使って行われていた様々な仕事は、
産業革命後は機械に代わりました。以降人類は、
エネルギーを使えば使うほど豊かになると考えてきたのです。
地球上に人類が誕生してから今日までに消費したエネルギーのうち、
約6割は産業革命後の200年の間に使われました。
僅かな期間にこれほど膨大なエネルギーを使って私たちは今の生活を
つくり上げたのです。しかしそのために、他の生物は次々と絶滅に
追い込まれています。
高尾山には1300種類以上の植物が生えていて、
昆虫等は5000種類以上いるそうです。地球には6000万種類以上の
生物が存在すると考えられていますが、環境破壊により毎年50万種類位は
絶滅しています。私達は他の生物の莫大な犠牲の上に生きているのです。
<日本は先進国ではなく後退国>
私は、日本や米国を先進国と呼びません。ずいぶん前から私は、
後退国と呼んでいます。地球環境を破壊し他の多くの生物を絶滅に
追いやるような国は、後退しているとしか思えないからです。
しかし多くの後退国では、今以上にもっとエネルギーを使いたい様です。
日本もまた莫大なエネルギーを浪費する東京の様な異常な街を
つくりましたが、まだ足らないと主張する人がいます。
高尾の森にもトンネルを掘り、高速道路を延長する計画がありますね。
私はもともと東京生まれの東京育ちです。
上野と浅草の真ん中あたりに地下鉄の稲荷町駅がありますが、
その近くで生まれ育ちました。私が生まれた頃は、
江戸の下町情緒が溢れ道路は子どもの遊び場でした。
それが劇的に変わったのは、東京オリンピックからです。
車が増え、子どもの遊び場はなくなりました。
私は失望して東京を離れましたが、それ以降も多くの人々は、
エネルギーをたくさん消費する生活が幸せだと思い込んできたのです。
実はかって私自身、人間が豊かに生きる為にはエネルギーが必要だと
考えました。だから私は、原子力の世界に足を踏み入れました。
しかしそこで目の当たりにした現実は、
私の期待を粉々にうち砕いたのです。
私が原子力の世界に入った時、日本の原発は1基だけでした。
茨城県東海村に東海1号炉があっただけです。今日では55基の原発が
この狭い日本で稼動しています。しかし最も電気を消費する東京にも、
今、私が住んでいる大阪にも原発は1基もありません。
東電の原発は、東北電力の管内である福島県に福島第1、第2原発が
あります。先日の地震で大きなダメージを受けた新潟県柏崎刈羽原発も
同様に東北電力管内です。関西電力は、福井県の若狭湾に原発を11基も
林立させて長い送電線で関西圏に電気を送っています。
原発で万一重大事故が起きれば大変なことになるから、
東京や大阪の大都市には原発を建設しないのです。
その万一の事故は、既に起きています。1986年4月26日、
旧ソ連のチェルノブイリ原発で重大事故が起き、
広島原爆約800発分の「死の灰」が環境中に放出され、
広大な地域が汚染しました。
数十万人の人たちが避難を強いられ流浪化しました。
本当はもっとたくさんの人々を避難させなければいけなかったのですが、
ソ連邦は崩壊してしまいました。その結果、
未だに14万5千平方キロメートル(日本の本州の約6割に相当)もの
汚染地域に500万人を超える人たちが生活しています。
<再処理工場は日本全土を汚染する>
原発はウランを燃やして「死の灰」を作ります。
100万キロワットの原発は1年間稼動すると
1トンのウランを燃やします。広島で何十万もの人々を熱線で焼き殺し
被爆させた原爆は、約1キログラムのウランが燃えたものです。
それでさえ通常の爆弾に換算したら、約2万トン分に相当します。
私の生まれた頃、東京の下町にはあちこちらに焼け跡が残っていました。
1945年3月10日の東京大空襲のつめ跡です。
344機の巨大爆撃機B29は東京に1600トンの爆弾を落とし、
市街地の40%を焼き尽くして10万人を焼き殺しました。
広島、長崎に落とされた1キログラムのウランやプルトニウムは、
東京大空襲をはるかに超える破壊力を持っていたのです。
みなさんは原子炉と言えば原発を思い浮かべるでしょうが、
原子炉は長崎に落とされた原爆の材料であるプルトニウムを生み出す為に
考えられた装置です。そして生み出されたプルトニウムを原子炉から
取り出すための技術が再処理です。
米国はマンハッタン計画により、世界で最初にこの技術を開発しました。
合計10万人を超える科学者、技術者、労働者を秘密都市に閉じ込め、
当時の日本の全国家歳出に相当する約20億ドルを投じて
原爆を製造したのです。
現在世界で公式に核兵器を保有しているのは、国連常任理事国の米国、
フランス、イギリス、ロシア、中国の5カ国です。これ以外に、
実際にはインドやパキスタン、イスラエルは既に核を保有しています。
しかしインドは原子炉と再処理の技術を、パキスタンは濃縮の技術を
持っているだけです。日本は核兵器を持っていないにも関わらず、
原子炉、濃縮、再処理の中心的な3つの技術をすべて持っています。
私は、日本が国策として再処理政策を掲げ続ける最大の理由は、
核兵器開発にあると思います。
青森県六ヶ所村の再処理工場は、既に稼動しています。
昨年3月31日から実際の使用済燃料を使いアクティブ試験を始めました。
なぜ3月31日かと言えば、会計年度の関係で地元に交付金が
落とせるからです。日本原燃はこの11月以降本格運転を開始すると
公表していますが、なんとしても止めなければいけません。
再処理工場は、事故が起きなくても膨大な放射能を環境に放出します。
日本はこれまで原発で燃やした使用済燃料の再処理をイギリスと
フランスに依頼していました。そのイギリスやフランスでは、
再処理工場周辺で深刻な放射能被害が出ています。
イギリスのウィンズケール再処理工場はグレートブリテン島の西海岸に
あり、アイリッシュ海をはさんだ対岸にはアイルランド島があります。
このウィンズケール再処理工場は今日までに、広島型原爆400発分の
「死の灰」をアイリッシュ海に流しました。チェルノブイリ原発事故で
放出された「死の灰」の半分に相当する量が、《通常の運転によって》
放出されたのです。
六ヶ所村再処理工場が本格稼動すれば、同様の深刻な放射能汚染は
日本全国に広がるでしょう。決して稼動させてはならないと思います。
<原発は巨大な「海温め装置」>
7月に柏崎刈羽原発が地震で深刻なダメージを受け、原発の安全性は
根本的に問い直されています。国や電力会社は日本の電力の30%を
供給している原発が止まったら大変なことになると宣伝していますが、
すべての原発が停止しても電力供給には何の問題もありません。
中図:日本の発電設備の量と実績(2005年度)
日本には火力発電所を含めて膨大な数の発電所があります。
それらの年間を通しての稼働率(=設備利用率)は5割にも満たない
状態です。原発を全部停止して火力発電で代替したとしても、
火力発電の稼働率は7割にしかなりません。
こうした事実に対して国や電力会社は、「電気は貯めておけないから、
真夏の一番暑い時の電力消費ピークに対応するために原発は必要だ」と
反論します。しかし過去のデータを調べれば、火力発電と水力発電だけで
十分に最大需要電力量を賄えることが分かります。
90年代初頭の数年だけ、原発がなければ足らなかった年はありますが、
それ以降はまったく問題ありません。しかも最大の電力需要は、
真夏の一番暑い3日間ぐらい、午後数時間にしか必要とされません。
もし、原発がなければ電気が足りないというのであれば、
その時間だけみんなが仕事を休めばなんのことはないのです。
国や電力会社はもう一つ、地球温暖化防止=CO2削減のために原発が
必要だと主張しています。しかし地球温暖化の原因が炭酸ガスかどうかは
科学的には証明されていません。私は可能性はあると思いますが、
本当のところを突き詰めていくと未だ不明です。
もし炭酸ガスが温暖化の原因だとしても、原発は解決策にはなりません。
少し前まで国や電力会社は、「原発は炭酸ガスを出しません」と
PRしていました。しかし現在は、「原発は発電時に炭酸ガスは
出しません」と修正しています。
原発を動かすには、ウラン鉱山からウランを採掘し、
それを製錬・濃縮・加工して燃料にする工程や、
生み出される「死の灰」を100万年にも渡り管理する事が必要です。
それらすべてのプロセスで膨大な炭酸ガスが発生することは明らかです。
さらに私は、発電時にも炭酸ガスを出していると思います。
原発は膨大なコンクリートと鉄の塊です。これを動かすためには
膨大なエネルギーを必要としますから、当然炭酸ガスを出しています。
科学的には、「核分裂反応は炭酸ガスを出しません」が正しい表現です。
何より温暖化対策を真剣に考えるのならば、膨大な温排水を出している
原発こそ真っ先に停止すべきです。100万キロワットの原発の原子炉の
中では、300万キロワット分のエネルギーが出ています。
電気になっているのはたった3分の1で、残りの200万キロワット分の
エネルギーは海に棄てています。
私の恩師である水戸巌さんは、「原子力発電という名前は正しくない。
正しい名前は『海温め装置』だ」と指摘されました。私はこれを聞いて、
目から鱗が落ちる思いがしました。確かに原発のエネルギーの3分の2は
海に棄てられ、海を温めているのですから
「海温め装置」と呼ぶのが正当です。
これは海の生物にとっては大迷惑な話です。100万キロワットの
原発1基は、1秒間に70トンの海水を7℃温めます。
東京の主要河川である荒川でも、1秒間に30〜40トンの流量です。
1基の原発だけで、荒川以上に巨大な川の水を7℃も温めて
海に流しているのと同じなのです。
日本にある55基の原発全体からは、1年間に1000億トンの
温かい水が排出されます。日本全土に降る雨の量は1年間で
6500億トンで、そのうち川に流れるのは4000億トンです。
つまり原発は、毎年日本の川を流れる水の4分の1に相当する量を
7℃温めて海に戻しているのです。
温暖化対策を真剣に考えるなら、炭酸ガスを問題にする前に
真っ先にこの「海温め装置」を止めるべきです。
<エネルギーで幸福は生み出せない>
私は中学、高校時代に、「石油はあと30年で無くなる」と
さんざん聞かされました。しかし歴史を紐解いてみれば、
いつの時代にもエネルギー危機は叫ばれていました。
1929年の世界恐慌翌年の30年には、「石油はあと18年で無くなる」と
宣伝され、1940年には、「石油はあと23年で無くなる」と危機が
煽られました。そして米国、イギリス、中国、オランダによる
ABCD包囲網で石油の禁輸制裁を受けた日本は、南方石油資源確保の
ために太平洋戦争に突入したのです。
1950年には「あと20年」、70年、80年には「あと30年」と言われ、
90年には「あと45年」になりました。一番最近の石油可採年数推定値は
50年です。勿論石油はいずれ無くなります。この地球の長い歴史の中で
蓄えられた資源を、私たちは湯水のように使っているからです。
だからと言って、原子力は石油の代替エネルギーにはなり得ません。
原発の燃料であるウランは、石油と比べても数分の1ぐらいの量しか
ありません。石炭と比べたら数十分の1です。実に貧弱な資源なのです。
ゆえに原子力はどうがんばってもそう長くは持ちません。
右図の外枠は1年毎に地球に到達する太陽エネルギー
※図:再生不能エネルギー資源の埋蔵量 単位は10×10の21乗J
根本的な問題は、人類はエネルギーを使い過ぎていることです。
一体どのぐらいのエネルギーがあれば、人間は平和で豊かな生活を
送れるのかを考えてみましょう。
今から100年前の日本人の平均寿命は50歳未満です。
当時は1人1日当り食料を含めて数千キロカロリーの
エネルギーしか使えませんでした。人間が生きるためには、
1日当たり2000キロカロリーの食料を採る必要があり、
それ以外にも様々なエネルギーを使います。
1日数千キロカロリーでは食料すら満足にまかなえないので、
寿命は短かったのです。
日本は高度経済成長期以降、1日当たり4〜5万キロカロリーの
エネルギーが使えるようになり、その結果平均寿命は70歳、80歳と
伸びてきました。現在では、1人当たり平均12万キロカロリーの
エネルギーを使っています。
私は日本のエネルギー消費を、現在の2分の1にするように
提唱しています。12万キロカロリーの半分、6万キロカロリーです。
これはほぼ1970年代の消費レベルです。
冷蔵庫、洗濯機、テレビなどほとんどの電化製品は揃っていました。
しかも今日の省エネ技術は70年代よりも良くなっています。
白熱灯ではなく蛍光灯が普及し、冷蔵庫も10分の1ぐらいの
エネルギー消費で動きます。ですから6万キロカロリーでも、
70年代よりもはるかに豊かな生活が可能です。
贅沢を切り詰めれば十分に命を維持し、
人間的な生活をおくれるレベルです。
加えて重要なことは、日本のエネルギー消費を半分に減らしても、
まだ世界平均を上回っていることです。
現在世界の平均エネルギー消費量は、4〜5万キロカロリーです。
今世界65億の人口のうち、先進国に住んでいる人は4分の1、
約16〜17億人です。残りの50億の人たちは、未だにエネルギーを
ほとんど使えない生活を強いられています。
*左図参照
そのなかでも特に11億の人たちは、「絶対的貧困」と国連が定義する
状況に置かれています。1日に1ドル、つまり約120円以下しか
使えない人が11億人いて、そのうち5億人は飢餓に直面しています。
劣悪な衛生・健康状態の中、2~3秒毎に子供が死亡しているのです。
未だに多くの人たちが飢えに苦しんでいるにも関わらず、
私たちはそれを顧みることなくさらに大量のエネルギーを使って
贅沢を享受する社会をつくろうとしているのです。
この極めて差別的な世界を一体どうすればいいのでしょうか?
宮澤賢治は「世界がぜんたい幸福にならないうちは 個人の幸福は
ありえない」と記しました。私は「世界ぜんたい」とは、
人間のみを指すのではないと思います。人間を含めたこの世界全体が
幸せになることを、賢治さんは願っていたはずです。
またそう考えなければ、この地球という星を守ることはできない
ところにまで私たちは追い詰められてしまったと思います。
賢治さんは続けてこう記しています。
「個性の優れる方面に於て、各々止むなき表現をなせ」。
たまたま原子力の世界に入ってしまった私は、
なんとか原発を止めるために自分が持っている力を出し尽くします。
みなさんも、それぞれが取り組んでいる場所で、
それぞれの力を発揮してください。
私たち誰もがそれぞれに「止むなき表現」をする場所があるはずです。
=====
引用元:これ以上のエネルギー消費拡大は犯罪
原発がすべて止まっても決して停電は起きない
小出裕章さん講演 – エコ&ピース月刊誌Actio
※引用元では、図を見ながら文章を見られるので理解しやすいです。
小出さんや、その他の大勢の「反原発」の方々は、
原発を止めれば全てを成し遂げられたとは思わないでしょう。
それは一つの「過程」であって、「人類」だけの為の想いではなく、
世界に生きる全ての命の為の主張です。
便利で快適な生活を維持する為に、膨大な電力を求め続け、
その為には多少の危険も省みないというのならば、
いつか日本という国は、消え去ることでしょう。
日本だけの問題でも、最早無いのです。
世界の何処かに原発が在る限り、
世界は常に破滅と隣り合わせの不安の中です。
本当に必要な、大切なものは何で、
必要でないものは何なのかを、
この世界に生きている、ひとりひとりが考えて欲しいのです。
それが僕の願いであり、希望している事です。
綺麗事と笑う人も、実現不可能と嘲る人も、
自分の、後ろに居る人達の事を考えてみて下さい。
この世界は、自分自身が死ねば終わりではありません。
自分の子供の、そのまた子供が、更に子供を育て、
そうして命は連綿と紡がれていきます。
想像してみて下さい。
その未来に原発を放棄し、自然に寄り添いながら、
本当の意味で豊かな生活を送る人達が居る世界を。
実現不可能な事でしょうか?
いいえ、いつかきっと出来ます。
そう信じてみませんか?
僕が今の現状に思う事 続き2 [原発]
国(政府)が当てにならないとすると、どうすれば良いのか。
それは国民(日本人、日本に住む外国籍の方も同様)が声を上げる事。
理想を言えば、影響の大きなマスメディアが主導するカタチならば、
結果に至る過程は大幅に短縮出来るのでしょうが、これも現実的には
難しいでしょう。実際の報道を観ればお解りでしょうが、
大手の報道メディアも、利権が絡むと動きません。
地方のラジオ局なら手に入る情報が、大手報道メディアでは
情報そのものが《出てこない》というのが現状です。
国も報道メディアも駄目、ならばどうすれば良いのか?
結局は国民が我慢強く声を上げ続けるしかないと思うのです。
それは例えば署名を集める。少しずつでも人数を増やしていく。
支持する政党があるならば、党に繰り返し陳情をする。
デモをするというのもアリだと思う。冷静さは必要ですが。
先日、フジテレビに対するデモがありましたね。
結構人数も集まっていて、僕的には意外でした。
(本番に対しての予行演習的なものだったみたいですが)
フジに対するデモの趣旨は、『韓流』に対してでしたが、
ならば、原発に対するデモがあって然るべきだと思います。
他にも農林水産省や厚生労働省、消費者庁に直接陳情するとか。
農林水産省はJAS法、厚生労働省は食品衛生法を管轄してます。
食に関する国の機関に、国民が直接訴えかける。
ひとりやふたりなら無視するでしょう。
それが何千、何万人になったら?きっと無視出来なくなるでしょう。
で、ここに書き連ねたものを実行しようとしたら、
結局はマンパワー、人数の多さが重要になりますよね。
顧みて現状は、声を上げる人の絶対数が少な過ぎるんです。
だから先ず、僕は同じように考え、行動してくれる人を、
1人でも2人でも増やしたいと考えました。
で、方法が、ミクシィに日記を書く。(笑)
まぁ、影響力無いです。それは解ってます。
周囲の人間(会社の同僚、身内、友人)は少しずつですが、
原発についての理解を深めて貰える様に努力はしています。
なかなか思うようにはいかないですが、諦めてはいません。
サブリミナル効果あるくらい繰り返す所存です。洗脳か(笑)
僕が例えば独身だったならば、無関心だったかもしれません。
ですが、今の僕には守りたい人がいます。見てみたい未来もあります。
この日記を読んでいる方で、同じように守りたい人が、
守りたい未来がある方は、とりあえず自分の周囲の方にも
声をかけてみませんか?原発について話してみませんか?
小さな、些細な事かもしれません。
でも、そこから大きな変化が起こる、かもしれませんよ?
以上、僕が今、思う事でした。
御清聴有難う御座いました。
どんなリアクションでも歓迎致します。
リアクションある時点で「興味を持って」下さっている訳ですしね。
どうか、どうか宜しくお願いします。
追記:肝心な事を書き忘れていました。また長くなりそうなので、
次の日記に書きますが、僕が目指している「着地点」の事です。
気が向いたら読んでみて下さいね。
それは国民(日本人、日本に住む外国籍の方も同様)が声を上げる事。
理想を言えば、影響の大きなマスメディアが主導するカタチならば、
結果に至る過程は大幅に短縮出来るのでしょうが、これも現実的には
難しいでしょう。実際の報道を観ればお解りでしょうが、
大手の報道メディアも、利権が絡むと動きません。
地方のラジオ局なら手に入る情報が、大手報道メディアでは
情報そのものが《出てこない》というのが現状です。
国も報道メディアも駄目、ならばどうすれば良いのか?
結局は国民が我慢強く声を上げ続けるしかないと思うのです。
それは例えば署名を集める。少しずつでも人数を増やしていく。
支持する政党があるならば、党に繰り返し陳情をする。
デモをするというのもアリだと思う。冷静さは必要ですが。
先日、フジテレビに対するデモがありましたね。
結構人数も集まっていて、僕的には意外でした。
(本番に対しての予行演習的なものだったみたいですが)
フジに対するデモの趣旨は、『韓流』に対してでしたが、
ならば、原発に対するデモがあって然るべきだと思います。
他にも農林水産省や厚生労働省、消費者庁に直接陳情するとか。
農林水産省はJAS法、厚生労働省は食品衛生法を管轄してます。
食に関する国の機関に、国民が直接訴えかける。
ひとりやふたりなら無視するでしょう。
それが何千、何万人になったら?きっと無視出来なくなるでしょう。
で、ここに書き連ねたものを実行しようとしたら、
結局はマンパワー、人数の多さが重要になりますよね。
顧みて現状は、声を上げる人の絶対数が少な過ぎるんです。
だから先ず、僕は同じように考え、行動してくれる人を、
1人でも2人でも増やしたいと考えました。
で、方法が、ミクシィに日記を書く。(笑)
まぁ、影響力無いです。それは解ってます。
周囲の人間(会社の同僚、身内、友人)は少しずつですが、
原発についての理解を深めて貰える様に努力はしています。
なかなか思うようにはいかないですが、諦めてはいません。
サブリミナル効果あるくらい繰り返す所存です。洗脳か(笑)
僕が例えば独身だったならば、無関心だったかもしれません。
ですが、今の僕には守りたい人がいます。見てみたい未来もあります。
この日記を読んでいる方で、同じように守りたい人が、
守りたい未来がある方は、とりあえず自分の周囲の方にも
声をかけてみませんか?原発について話してみませんか?
小さな、些細な事かもしれません。
でも、そこから大きな変化が起こる、かもしれませんよ?
以上、僕が今、思う事でした。
御清聴有難う御座いました。
どんなリアクションでも歓迎致します。
リアクションある時点で「興味を持って」下さっている訳ですしね。
どうか、どうか宜しくお願いします。
追記:肝心な事を書き忘れていました。また長くなりそうなので、
次の日記に書きますが、僕が目指している「着地点」の事です。
気が向いたら読んでみて下さいね。
僕が今の現状に思う事 続き [原発]
原発に関する日記を書き始めて一番感じた事は、
日本に住んでいる筈の『日本人』より、海外の、
日本人からすれば『対岸の火事』である筈の他国の
人々の方が事実に即した情報量も多く、関心も高く
持っているように感じました。
情報量については、明らかに『操作』されており、
意図的に伝わらないようにしている事が多く、
これは政府や東電がいう『パニックを避ける為』という
理由だけでは許されない大きな『過失』だと思います。
事実、情報を偽り、真実を『隠蔽』した事で、
しなくてもよかった大量の被曝を、特に福島の人達に
強いた事は、犯罪以外の何物でもないと思います。
関心の高さについては、仕方が無い部分もあるんですが、
事故当初からの国と東電の『直ぐに問題無し』『安全』の
ゴリ押しに、疑問を持ちながらも『そうであって欲しい』
と多くの人が思い、『妄信』した事が原因だと思います。
僕自身、事故当初は原発が事故を起こした時点で事態は
深刻であると頭では理解していた筈なのに、実感としては
事故の深刻度を浅くみて、早期の収束もあるんじゃないか?
と『思いたかった』のが実情でした。
現実として、事故はチェルノブイリと『同等の』規模であり、
チェルノブイリが『1基』での事故だったのに対し、
福島は『4基』が未だに予断を許さない状況にあり、
チェルノブイリが現在も事故収束はしていないものの、
現状はある意味安定(囲い込んで環境への放出を押さえこめて
いるという意味で)しているのに対して、
福島は事故当初に比べれば、漏れ出す量は減少しているものの、
依然として環境に漏洩は続いており、また、燃料の安定冷却すら
未だ目処がたっていないのが現状です。
(政府・東電のステップ1《安定冷却達成》は、先の日記にも
書きましたが、そもそも原子炉内にもう燃料が無い状態で、
何処に燃料があるのかすら分からないのでは、安定した冷却など
ありえない事です。)
環境に放出された放射能は、除染するといっても表層を剥がして
何処かに移動するというだけであり、放射能そのものを《無くす》
事は今現在出来ません。事実として、チェルノブイリでは
表層の放射線値が下がった場所の地下を調査した所、高線量が
計測されたそうです。読んで字の如く《地下に潜っただけ》でした。
事故そのものの収束は、勿論重要な事ではありますが、
それ以上に今現在深刻であるのが、内部被曝に関する事です。
食物連鎖によって生体濃縮が起こり、その結果は食物連鎖の
最後に位置する『人間』の内部被曝につながります。
農作物・畜産物・海産物、いずれにも大なり小なり汚染は
《在るもの》と前提し、どの食品に、どの位の《汚染》があり、
各食品毎の《汚染度》を周知する事で、それを消費する側の
判断基準を明確にしなければなりません。
アメリカのJ・W・ゴフマン博士による評価を引用すると、
被曝した場合の年齢別危険性は、年齢が若いほどリスクは高く、
年をとればとるほど、影響は少なくなっていきます。
具体的にいうと、平均的な放射線感受性を持つのは30歳前後で、
30歳に比べ、0~4歳位だと、およそ4倍に高まります。
5~9歳でも3.5倍、10~14歳でも3倍の危険性となります。
逆に30歳以降は、年々影響は少なくなり、40歳では30歳に比べ、
およそ半分以下にまで減少します。
50歳に至っては、30歳に比べると、およそ40分の1です。
子供の被曝、特に内部被曝を防ぐという観点でみると、
この事実は大きな《武器》になります。
汚染が高いものを大人が、低い(出来れば汚染の無いものを)
ものを子供が消費する、そういう体制を構築出来れば、
将来的なリスクはかなり減らせる筈です。
では、どうすればそういう体制を布く事が出来るのか。
一番手っ取り早いのは、国(政府)が現状を明確にし、
その対策を速やかに行なう事です。
が、恐らく無理でしょう。悲観的ですが、現実的だと思います。
事故後の経緯を見ても明らかですが、事故以前の政治の動向を
見ていても、国民の為に政治を行なうのは極少数派です。
正直言って、どの政党の、誰が政権を握っても、
日本の政治は変わらないでしょう。
まだまだつづく
日本に住んでいる筈の『日本人』より、海外の、
日本人からすれば『対岸の火事』である筈の他国の
人々の方が事実に即した情報量も多く、関心も高く
持っているように感じました。
情報量については、明らかに『操作』されており、
意図的に伝わらないようにしている事が多く、
これは政府や東電がいう『パニックを避ける為』という
理由だけでは許されない大きな『過失』だと思います。
事実、情報を偽り、真実を『隠蔽』した事で、
しなくてもよかった大量の被曝を、特に福島の人達に
強いた事は、犯罪以外の何物でもないと思います。
関心の高さについては、仕方が無い部分もあるんですが、
事故当初からの国と東電の『直ぐに問題無し』『安全』の
ゴリ押しに、疑問を持ちながらも『そうであって欲しい』
と多くの人が思い、『妄信』した事が原因だと思います。
僕自身、事故当初は原発が事故を起こした時点で事態は
深刻であると頭では理解していた筈なのに、実感としては
事故の深刻度を浅くみて、早期の収束もあるんじゃないか?
と『思いたかった』のが実情でした。
現実として、事故はチェルノブイリと『同等の』規模であり、
チェルノブイリが『1基』での事故だったのに対し、
福島は『4基』が未だに予断を許さない状況にあり、
チェルノブイリが現在も事故収束はしていないものの、
現状はある意味安定(囲い込んで環境への放出を押さえこめて
いるという意味で)しているのに対して、
福島は事故当初に比べれば、漏れ出す量は減少しているものの、
依然として環境に漏洩は続いており、また、燃料の安定冷却すら
未だ目処がたっていないのが現状です。
(政府・東電のステップ1《安定冷却達成》は、先の日記にも
書きましたが、そもそも原子炉内にもう燃料が無い状態で、
何処に燃料があるのかすら分からないのでは、安定した冷却など
ありえない事です。)
環境に放出された放射能は、除染するといっても表層を剥がして
何処かに移動するというだけであり、放射能そのものを《無くす》
事は今現在出来ません。事実として、チェルノブイリでは
表層の放射線値が下がった場所の地下を調査した所、高線量が
計測されたそうです。読んで字の如く《地下に潜っただけ》でした。
事故そのものの収束は、勿論重要な事ではありますが、
それ以上に今現在深刻であるのが、内部被曝に関する事です。
食物連鎖によって生体濃縮が起こり、その結果は食物連鎖の
最後に位置する『人間』の内部被曝につながります。
農作物・畜産物・海産物、いずれにも大なり小なり汚染は
《在るもの》と前提し、どの食品に、どの位の《汚染》があり、
各食品毎の《汚染度》を周知する事で、それを消費する側の
判断基準を明確にしなければなりません。
アメリカのJ・W・ゴフマン博士による評価を引用すると、
被曝した場合の年齢別危険性は、年齢が若いほどリスクは高く、
年をとればとるほど、影響は少なくなっていきます。
具体的にいうと、平均的な放射線感受性を持つのは30歳前後で、
30歳に比べ、0~4歳位だと、およそ4倍に高まります。
5~9歳でも3.5倍、10~14歳でも3倍の危険性となります。
逆に30歳以降は、年々影響は少なくなり、40歳では30歳に比べ、
およそ半分以下にまで減少します。
50歳に至っては、30歳に比べると、およそ40分の1です。
子供の被曝、特に内部被曝を防ぐという観点でみると、
この事実は大きな《武器》になります。
汚染が高いものを大人が、低い(出来れば汚染の無いものを)
ものを子供が消費する、そういう体制を構築出来れば、
将来的なリスクはかなり減らせる筈です。
では、どうすればそういう体制を布く事が出来るのか。
一番手っ取り早いのは、国(政府)が現状を明確にし、
その対策を速やかに行なう事です。
が、恐らく無理でしょう。悲観的ですが、現実的だと思います。
事故後の経緯を見ても明らかですが、事故以前の政治の動向を
見ていても、国民の為に政治を行なうのは極少数派です。
正直言って、どの政党の、誰が政権を握っても、
日本の政治は変わらないでしょう。
まだまだつづく
僕が今の現状に思う事 [原発]
僕はあの福島の事故の後、
SNS『ミクシィ』で原発関連の日記を書いていました。
原発関連のコミュにも入ってみました。
『原発を肯定する人』や『原発を否定する人』同士が、
集まって話し合い、知識の共有や現状理解に努めている。
それは素晴らしい事だし、しなければいけない事だとは思う。
けれど、『原発に興味が無い』無関心な人達や、
『気にはなるけど、よく解らないし、誰かが上手く何とか
してくれるだろう』という大多数の人達の意識を変えないと、
この国も、この国に住む人達も、変わらないと思うのです。
どうすれば良いのか?どうすれば興味を持ってもらえるのか?
いまだに模索中ですし、答えも見つかっていません。
とりあえず、今の僕に出来る事は、情報の共有です。
そこから何を感じ取り、どう行動するのか。
人それぞれ考え方は違うでしょう。
でも、先ずは興味を持って頂ければ幸いです。
以下はミクシィの僕の日記から転載です。
今から25年前、あのチェルノブイリでの事故が起きた頃、
僕は中学生で、漠然と大きな、大変な事故なのだとは感じていたものの、
遠い国での出来事であり、『対岸の火事』だと正直思っていた。
それから月日は流れ、社会人になり、生活の中に様々な情報が
溢れてくるようになり、興味を持った事をネット等で調べていると、
チェルノブイリについても多少の知識は蓄積されていった。
事故は10年以上経っても収束しておらず、放射能の汚染範囲は
僕の想像を遥かに超えて広がっていた。だがこの期に及んでも、
僕は日本の原発に対して特に不安も懐かずにいた。
あくまでチェルノブイリの事故は『特別な』事故であり、
日本の原発は大丈夫『だろう』という妄信だった。
その後も原発に対する知識は増え続け、核燃料サイクル計画の事も、
日本の原発でも、実際に事故は起きている事も知った。
それでも尚且つ、僕は日本の原発が危険だと考えていなかった。
きっと大丈夫だろうと根拠も無く『妄信』し続けていた。
そして今年、福島第一原発で事故は起きた。
驚きはあったが、正直『やはり』とも思っている自分がいた。
震災直後は人的被害の確認に追われたが、それも落ち着くと、
事故直後自宅周辺は停電が続いており、真っ暗な夜の闇の中、
ベッドの上で考えていたのは原発の事だった。
その時は震源が福島県の沖という情報しか得ていなかったが、
その周辺の原発には被害が出なかったのか不安を感じていた。
停電の夜の闇は、不安な想像を次々と生みだし眠れなかった。
不安な想像は的中した。日本の原発は絶対安全では無かったと、
現実を突きつけられ、ようやく此処に至り思い知った。
世界は変わった。けれど周囲の日常も、報道で伝え聞く世の中も、
気持ち悪いくらいに3月11日以前と変わっていなかった。
何故変わらないのか不思議だった。
目の前で起きている事(建屋が爆発した映像を観て)を
他人事のように笑う同僚に寒気を感じた。
それはきっと現状に対する事実を伝える情報の絶対的な少なさと、
原発事故により引き起こされる、破局的な状況に対するイメージの欠如、
何より事故直後から報道で繰り返し伝えられた、政府や東電の
『直ぐに問題は無い』『安全だ』という《虚言》を皆が
『信じていたかった』のが原因だったと思う。
僕自身事故後、『きっと事故は早期に収束し、多少汚染は広がっても、
何年か経てば元の生活は戻ってくる』と思っていた。
いや、思っていたかったのだと思う。
事故から時間が経つにつれ、深刻さが続々と明らかになっていく。
それでも僕の周囲の人々の状況も、報道も相変わらずだった。
僕は焦っていた。どうすれば良いのか。
日記に僕が持っている知識を書いてみる事にした。
世の中は変わらなくても、僕の周辺にいる人が変わる事は
あるのかも知れないと考えて。
それが原発関連の日記を書き始めたキッカケでした。
長くのなるので続きます。
SNS『ミクシィ』で原発関連の日記を書いていました。
原発関連のコミュにも入ってみました。
『原発を肯定する人』や『原発を否定する人』同士が、
集まって話し合い、知識の共有や現状理解に努めている。
それは素晴らしい事だし、しなければいけない事だとは思う。
けれど、『原発に興味が無い』無関心な人達や、
『気にはなるけど、よく解らないし、誰かが上手く何とか
してくれるだろう』という大多数の人達の意識を変えないと、
この国も、この国に住む人達も、変わらないと思うのです。
どうすれば良いのか?どうすれば興味を持ってもらえるのか?
いまだに模索中ですし、答えも見つかっていません。
とりあえず、今の僕に出来る事は、情報の共有です。
そこから何を感じ取り、どう行動するのか。
人それぞれ考え方は違うでしょう。
でも、先ずは興味を持って頂ければ幸いです。
以下はミクシィの僕の日記から転載です。
今から25年前、あのチェルノブイリでの事故が起きた頃、
僕は中学生で、漠然と大きな、大変な事故なのだとは感じていたものの、
遠い国での出来事であり、『対岸の火事』だと正直思っていた。
それから月日は流れ、社会人になり、生活の中に様々な情報が
溢れてくるようになり、興味を持った事をネット等で調べていると、
チェルノブイリについても多少の知識は蓄積されていった。
事故は10年以上経っても収束しておらず、放射能の汚染範囲は
僕の想像を遥かに超えて広がっていた。だがこの期に及んでも、
僕は日本の原発に対して特に不安も懐かずにいた。
あくまでチェルノブイリの事故は『特別な』事故であり、
日本の原発は大丈夫『だろう』という妄信だった。
その後も原発に対する知識は増え続け、核燃料サイクル計画の事も、
日本の原発でも、実際に事故は起きている事も知った。
それでも尚且つ、僕は日本の原発が危険だと考えていなかった。
きっと大丈夫だろうと根拠も無く『妄信』し続けていた。
そして今年、福島第一原発で事故は起きた。
驚きはあったが、正直『やはり』とも思っている自分がいた。
震災直後は人的被害の確認に追われたが、それも落ち着くと、
事故直後自宅周辺は停電が続いており、真っ暗な夜の闇の中、
ベッドの上で考えていたのは原発の事だった。
その時は震源が福島県の沖という情報しか得ていなかったが、
その周辺の原発には被害が出なかったのか不安を感じていた。
停電の夜の闇は、不安な想像を次々と生みだし眠れなかった。
不安な想像は的中した。日本の原発は絶対安全では無かったと、
現実を突きつけられ、ようやく此処に至り思い知った。
世界は変わった。けれど周囲の日常も、報道で伝え聞く世の中も、
気持ち悪いくらいに3月11日以前と変わっていなかった。
何故変わらないのか不思議だった。
目の前で起きている事(建屋が爆発した映像を観て)を
他人事のように笑う同僚に寒気を感じた。
それはきっと現状に対する事実を伝える情報の絶対的な少なさと、
原発事故により引き起こされる、破局的な状況に対するイメージの欠如、
何より事故直後から報道で繰り返し伝えられた、政府や東電の
『直ぐに問題は無い』『安全だ』という《虚言》を皆が
『信じていたかった』のが原因だったと思う。
僕自身事故後、『きっと事故は早期に収束し、多少汚染は広がっても、
何年か経てば元の生活は戻ってくる』と思っていた。
いや、思っていたかったのだと思う。
事故から時間が経つにつれ、深刻さが続々と明らかになっていく。
それでも僕の周囲の人々の状況も、報道も相変わらずだった。
僕は焦っていた。どうすれば良いのか。
日記に僕が持っている知識を書いてみる事にした。
世の中は変わらなくても、僕の周辺にいる人が変わる事は
あるのかも知れないと考えて。
それが原発関連の日記を書き始めたキッカケでした。
長くのなるので続きます。





